2026年3月22日日曜日

【レビュー記事】 師弟対決・その2~小澤征爾さんとミュンシュのラヴェル『ボレロ』

2024年の2月に小澤征爾さんが亡くなったあと、10回にわたって
小澤さんの代表的な録音についてレビュー記事を書いた。
その中で、小澤さんのベルリオーズ『幻想交響曲』を買った時、
ラヴェルの『ボレロ』がカップリングで入っていたことを書いた。
その時『幻想交響曲』については、ミュンシュが 1962 年に
ボストン響と録音した LP を買ったのが最初で、
この LP には同じ年に録音した『ボレロ』が入っていたけれど、
今あるミュンシュ 1962 年の『幻想交響曲』の CD には
この曲はカップリングされていないので、いつか聴いてみたい、
そして小澤さんの演奏と比べてみたい、と書いた。

実際、ミュンシュのラヴェルの録音というと、
1955 年のボストン響と 1967 年のパリ管と録れたものが
多く出回っていて、ネット上のレビュー記事も圧倒的に
この2枚のものが多いのだ。
この2枚はそれぞれに評判がよいから、
1962 年に『幻想交響曲』と一緒に録れた時のものは
埋もれてしまっているのかもしれないけれど、
LP を買った当時、『幻想』も『ボレロ』も、
荒々しい迫力があった印象があって、是非とも聴いてみたいと、
2024 年だったと思うが、毎週のように中古レコード屋を回って
そして漸く見つけたのだ。
Ravel: Orchestra Works というタイトルで、
他に『スペイン狂詩曲』、『亡き王女のためのパヴァーヌ』、
『ラ・ヴァルス』、そして『マ・メール・ロワ』を収めた CD だ。

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そこで、早速小澤さんのと聴き比べてみた。
小澤さんのは、ある意味あっさりしていると言っていいほど
オケの響きも整然としていて安定感のある演奏。
これに比べるとミュンシュのは、何だろう、
出だしのピアニッシモのリズム隊の音からして生々しいのだ。
この曲は A のメロディと B のメロディがそれぞれ
2回ずつ繰り返されるわけだけれども、
最初の A の2回をフルートとクラリネットが奏したあと
リズム隊にハープが加わって来るのだが、
小澤さんの演奏ではハープは控えめに左端で鳴っているのが、
ミュンシュの方は中央前面に出て来て
ボン! ボン! と鳴っていて、こうした音作りが
全体に生々しい感じを与えているように思われる。

あと、小澤さんのテンポは比較的安定していて、
全体の4回目のくりかえし辺りから若干速くなるのだけれど、
ミュンシュの方はというと、小澤さんよりも
ややゆっくりのテンポで始めつつ、
2回目の繰り返しの後半あたりから徐々にアッチェレランド、
次第にテンポが速くなっている。
そして4回目繰り返しの後半、B の辺りからは
あからさまにスピードアップする。
若い頃初めてこの演奏に触れた僕が「荒々しい迫力」と感じたのは
こうした音作りが関係しているのかもしれない。

今回この稿を書くに当たって、小澤さんとミュンシュ、
そしてこの曲については定評のある
クリュイタンス指揮/パリ音楽院管弦楽団の演奏を比べて、
どのようにテンポが変化しているかを調べてみたのが次の表。
演奏時間は A, B それぞれ16小節+間奏の2小節の
18小節を基本に、その開始タイミングの時間を読みとって計った。
これは A, B それぞれが始まる音が出た瞬間に
表示されている時間を読みとったので、
例えば、同じ 00:50 であっても、
開始したのは 00:50 に変わったばかりの時もあれば、
開始直後に 00:51 に切り替わったりするものもあるので、
最大1秒近いブレはある点ご承知頂きたい。
どの指揮者も速くなったり遅くなったりしているのは
この誤差によるものと考えて、全体の傾向に注目して頂ければ。

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こうして見ると僕が感じていたことは案外当たっている。
小澤さんは BPM ベースで大体 68 くらいのところで演奏して
4回目の繰り返しあたりでテンポを 69~70 くらいに上げて、
最後の5回目の B のところで一気に 72 まで上げて
エンディングに突入するのだ。

対してミュンシュの方は、1回目は 65 くらいだけれども
2回目あたりからじわじわと上げてきて、
5回目の最初の A のところで一気にテンポを上げて
最後のエンディングに突入。
おもしろいのは、エンディングの演奏時間に関しては
小澤さんとミュンシュのものが全く同じところ。

エンディングに向かってテンポを上げるという演出は
きっとミュンシュのもので、
小澤さんも師匠のそれを下敷きにしているのではないだろうか。
というのは、ラヴェルが楽譜に書き込んだ BPM は冒頭の 72 のみ。
どこにもアッチェレランドの指示はないのだ。
実際、クリュイタンスの演奏では、コンスタントに 66 で、
確かに5回目の繰り返しで速くなっているけれど、
エンディングの部分は寧ろ遅くなっている。
本来は音色と音量だけが変わっていくというのが
この曲の演奏の仕方なのだろう。

それを明らかにするのが参考で付けた
マゼール/フランス国立管の 1981 年録音の演奏時間である。
実は僕は、1990年にマゼールがこのオケを引き連れて
池袋の東京芸術劇場でドビュッシーとラヴェルを振った時に
その場にいたのだけれど、ボレロを振るマゼールは、
終盤に入って来ると、もっと大きな音で、もっと大きく、と
何とジャンプしながら指揮棒を振るうのだ。
オケもそれに応えて、ホールが割れんばかりの大音響、
あの時の『ボレロ』の感動は忘れることができない。
マゼールってこんなすごい人だったんだ、と思ったものだ。

その時の演奏とどれくらい似ているかはわからないけれど
同じ組み合わせで僕が目の当たりにした10年くらい前に
CBS に録音したものがあるので、これを調べてみたら、
正にラヴェルが指定した通り BPM = 72 で始めているのだ。
やや速いと感じられることと思う。
けれどもそのあとは一貫して最後まで 74~75 くらいで
アッチェレランドせずにエンディングは寧ろスピードを落としてる。
そうでありながら、終盤の音量の盛り上げ方がすごいので、
これまた迫力満点の演奏になっている。

久しぶりにミュンシュの『ボレロ』を聴き直してみて
子供の頃に「荒々しい迫力」と感じていたものが
勘違いではないと改めてわかったのだけれど、
一聴整然としているように響く小澤さんも
最後にアッチェレランドするのは師匠の影響か
或いはボストンの伝統かと、その流れを感じることができて
ちょっと面白かったというのが、今回の師弟対決の顛末である。
小澤さんは情熱的な指揮振りで有名だったけれど、
その源はミュンシュ先生にあるのかもしれない。

2026年3月21日土曜日

イランの暦と日本の風習

昨日に続いてイランの暦の話をします。
というのは、イランの風習が日本の風習に似ているところがあり、
私たちが普通に日本の文化だと思っているものが
実は古代ペルシャの起源だったりする、
それほど両国は古い時代から交流していた
ということに思いを寄せてほしいからです。
どうも日本の政治家はアメリカべったりな感じがしますが、
アメリカとの交流がたかだか 170 年程度なのに対し、
イランとの交流は 1,300 年くらいあるわけですから。。。

その前に、昨日イランのお正月とイスラームのラマダーン明けが
重なったという話を書きましたが、
イランの最高指導者モジュタバ師とペズシュキアン大統領の
年頭に当たってのメッセージを確認することができました。
お二人ともこのお正月とラマダーン明けが重なったことに
触れられていました。
日本人の僕が注目するくらいですから、
正にその文化・宗教の中に暮らしている人たちには
神聖な奇跡と感ぜられたことでしょう。

ところで、昨日の僕の記事を読まれた方で気づかれた方も
いらっしゃるのではないかと思うのですが、
イスラーム暦もイラン暦も、ともにヒジュラと呼ばれる
ムハンマドと彼に従うムスリムが、マッカからメディナに移住した
西暦622年を起点として年を数えているのですが、
今はイラン暦では 1405 年、イスラーム暦では 1447 年です。

これは、イランの暦は太陽暦で、地球の公転に合わせてあるので
グレゴリオ暦同様に閏年が存在し、西暦から 622 引いた年と
一致することがわかると思います。
(本日1年進みましたけど。。。)

これに対し、イスラームの暦は、月の満ち欠けに合わせた
純粋な太陰暦で、閏年や閏月を設けないので
――これは『クルァーン』で禁じられているそう――、
毎年11日ずつズレていき、結果西暦622年から数えると
今は 1447 年目になっている、ということなのです。

ここで話を戻すと、イランで春分の日を元日とするのは、
その昔、世界のはじめ、春分の日の正午に、
善の神アフラ・マズダーと悪魔であるアンラ・マンユが
同時にこの世界に入ってきたことによるとされています。
春分の日は、夜と昼の長さが同じ、プラスもマイナスもないゼロ、
善と悪と全てが拮抗・バランスする時です。
日本人が大晦日で全てを清算して、元日から新しい身となって
新しい年をゼロからスタートするのとどこか似ています。

イランのニュースを見ると、このような戦時下でも
伝統的な「ハフト・スィーン」を供えてお正月を迎える
一般市民のことが書かれていました。
ハフト・スィーンとはペルシャ語で「7つのS」の意味ですが、
Sで始まる7つのものをテーブルの上にお供えして
お正月を迎える習慣なのです。
その7つのSとは、

1. リンゴ(sib スィーブ)――欲望と再生の象徴
2. ニンニク(sir スィール)――清潔の象徴
3. ハゼノキ(somaq ソマーグ)――愛の象徴
4. 酢(serke セルケ)――清潔の象徴
5. ナナカマド(senjed センジェド)――人生の妙味を表す
6. コイン(sakeh セッケ)――鉱物界を司る
7. 麦芽プディング(samanu サマヌー)――植物と再生産の象徴

この他に次のものも併せて飾られます。

・金魚――水の神アナーヒターの象徴
・鏡・蠟燭――統一や明るさの象徴
・卵――創造の象徴
・パン――豊かさの象徴

何だか、本来は立春の時に頂いていた七草粥を連想させますね。
金魚というのがおもしろいですが、金魚のないお正月なんて!
と、お正月の正午まであと2時間というタイミングで
女の子が金魚を買いに出かけて様々な障害に遭う冒険譚、
ジャファール・パナヒ監督の『白い風船』という映画は
このイランのお正月を知るのにお勧めの1本です。

ところで、このイランの新年1月は
ファルヴァルディーンというのですが、それは、
「フラワシの月」という意味なのです。
フラワシというのはそれぞれの家の守護霊、
即ち元は先祖の霊なのですが、その先祖の霊が家に帰って来るのが
このお正月だ、というわけです。

先祖の霊が帰って来るというと日本のお盆を思い出しませんか?
日本のお盆は仏教の「盂蘭盆会」から来ていると言われてますが、
その元になっている『盂蘭盆経』を読むと、
どうも先祖を祀ることとはあまり関係がなさそうで、
一方、イランの人々の心の中に今も生きている
ゾロアスター教では、フラワシと同一視されてる「魂」のことを 
urvan と呼んでいるのです。
この語はアヴェスター語では「ルーワン」と発音しますが、
ソグド語では「ウルヴァン」と発音し、「ウラボン」に似てます。
僕はどうもこのペルシャの習慣と言葉とが
仏教の言葉や習慣と入り交じったか混乱して
今の日本に受け継がれているのではないか、と想像しています。
先祖の霊を迎え、送るのに火を焚くのも
フラワシの行事とお盆とよく似ています。

火と言えば、東大寺で3月に行われる修二会、
「お水取り」として有名ですが、水だけでなく
「達陀(だったん)の行法」では、
燃えさかる大きな松明を持った「火天」が、
洒水器を持った「水天」とともに須弥壇の周りを回り、
跳ねながら松明を何度も礼堂に突き出す所作をするわけで、
この水と火を扱うところはいかにもゾロアスター教っぽい。

日本の文化は仏教を中心に発達してきたように思われがちですが、
実は古代ペルシャから伝わったゾロアスター教の習慣も
多分に習合して、入り交じっているのではないかと考えてます。
その意味でも、イランという国のことを
単にどこか中東の遠い国のこととして捉えるのではなく、
もっと身近な、遠い親戚のような感じで捉えてみると
ものの見方も変わってくるように思うのです。

2026年3月20日金曜日

暦の変わり目に改めて平和を願う

今日3月20日は日本では春分の日の祝日なので、
月曜日までお返事できないよ、と海外拠点の同僚たちに
連絡をしようとして気づいたのだけれど、
今年の春分の日はいろんな暦の祝日が重なっているのです。

まず、イスラームのラマダーン明け。
イスラームの暦では3月19日が1447年の10番目の月
ラマダーンの最後の日でした。
なので、今日3月20日はラマダーン明けの
11月シャウワール月の1日でイード・アル・フィトルという
お祝いの日なのです。
なので、僕が連絡をしようとした、
アジアのイスラームに関係のある国の支店の人たちも
実はみんなお休みなのでした。

そして、春分の日と言えば、イランにもまた独特の暦があって
イランでは春分の日が新しい年の元日となるのです。
即ち、今日3月20日はイランの暦で1404年の12月
エスファンド月最後の日で、日本で言えば大晦日に当たる日、
明日3月21日が新年1405年の1月ファルヴァルディーン月1日、
いわゆる元日なわけです。

つまり、普通であれば今日明日は家族みんな揃って
新年のお祝いをする楽しい時期であるはずなのです。
が、周知の通り、イランは今アメリカとイスラエルを相手にして
戦争をしなければならない状況に追い込まれています。

確かに、一人の日本人として、
イランには核兵器の開発はしてほしくないけれど、
交渉が進まないからと言って、一方的に攻撃をしかけ
国の中枢にある人たちを暗殺して回るのは
どのように考えても許されるべきことではなかろう。

僕自身、イランには何度か訪れているので、
あの時会った人たちは今も無事だろうかと気になってしまう。
どこの国でもそうだが、一般の人たちは皆いい人たちで、
特に男性は女性と子供を大切にするやさしい国民性を持っている。
そんな人たちを、よりによって人が断食を行うラマダーン月に
そしてイランの正月にかけてのこの時期に攻撃するとは
本当に人間の仕業か、と思えるほどである。

そう言えば、僕が「Call for Peace」という歌を作ったのは、
2008年12月27日にイスラエルがガザに対して
空爆を行った時のことだった。
おめでたいクリスマスのこの時期をどうしてわざわざ選ぶのか。
腹の底から怒りが込み上げて来て一気に書いたのがこの曲だった。

国際関係論を専攻していた自分には
アメリカのモンロー主義はよく理解できる。
合衆国は西半球のことに専念するので、英国とヨーロッパは
南北アメリカのことには干渉するな、というのがモンロー主義で、
そのモンロー主義を踏まえてドンロー主義なるものを掲げるのなら
アメリカには中東に介入すべきではないはずなのだ。

これはもしかすると、トランプ大統領本人の意向とは
全く関係ないところで動いているのかもしれない。
というのも中東の問題に介入するのはもうアメリカの伝統に
なってしまっているからなのだ。
或いはトランプ大統領は国内のユダヤ系の実力者や
イスラエルのモサドなどに首根っこを押さえられていて
彼らの言う通りに振る舞っているだけなのかもしれない。
元々そうかもしれないけれど、ここのところのトランプ大統領には
言っていることに一貫性がなくなってきているように感じられる。

いやいや、そのような陰謀論めいた下種の勘ぐりはどうでもいい。
無実の一般民衆が祝日を過ごすべきこの時に
一刻も早く攻撃を中止して戦争を終わらせ、
再び交渉の場に戻ってほしいと思うのだ。

今回の一連の攻撃の中で、僕がイランのことを知るのに
いつも参考にしていて IRIB(イラン・イスラーム共和国放送)の
施設も攻撃を受け、
イラン国内のニュースが確認できない状態になっている。
その他のニュースサイトにも殆どアクセスできない。
唯一、革命防衛隊系のタスニーム通信のサイトが生きていて
軍関係の通信社だからそこのところを考えながら
記事を読まないといけないけれど、
ブルームバーグなどの記事のニュースソースも殆どここだから、
今はそれ以外にイラン国内のことを知る術はなさそうだ。

何れにしても、イランの一般の人たちの無事と健康と幸せを
願わずにはいられないこの頃である。
繰り返す。一刻も早く戦争を止めてほしいと。 

【レビュー】 熊本マリさんの『ゴルトベルク変奏曲』~その2

音楽 CD というものは実際に聴く前に、お店で買ったあとすぐに
その楽しみは始まっている。
家に帰る電車に載ると早速パッケージを開けて
ライナーノーツなどをチェックするのである。
マリさんの『ゴルトベルク変奏曲』の場合は、
まず帯にこう書いてある。

「これはきわめて魅力的な、新鮮で華のあるバッハである
     ――磯山雅」

おー、磯山雅さんというのは有名なバッハ研究の大家である。
その大家をして「きわめて魅力的な、新鮮で華のあるバッハ」とは
一体どんな演奏なんだろう?
もうこの文章を読んだだけでワクワクしてしまうではないか。

そして、ライナーノーツの表紙を開いたところに
セカンドライフでマリさんが僕らに聞かせてくれた
グールドの言葉が書いてある。

「おなた以外、自分自身の才能と可能性を
 判断できるものはいない。自分自身を信じなさい。」

この言葉はマリさんが 1980 年、16歳の時に
カナダの友人のところに遊びに行った折に、
そうだ、カナダにはグレン・グールドがいる、
というので自分の滞在中にレッスンをしてほしいと
グールドに手紙を書いたのだそうだ。
ところが返事がないので、直接会いに行ったところ、
運良く会えたものの、グールドからは「今は話せないから
電話番号を教えて下さい、電話するから」と言われたとか。

実際、その日の夜にグールドの秘書の方から電話があって
上に書いたグールドからのメッセージを伝えられたのだそう。
結局レッスンはしてくれないわけで、当時はきっと
「なぁーんだ」とがっかりされたに違いない。
しかし、ライナーノーツには上の言葉に続けて
マリさんご本人の言葉が書かれている。

「今、考えると、私自身こうしてピアニストとしていられることも
 彼のこの言葉のおかげかもしれない。
 自然に感じたまま、二十八年間の自分とうもの全てを、
 音に表現できたと思う。」

うわー、もうこれは泣けるくらいワクワクしてくるではないか。
グールドは確か、自分はバッハ演奏の正統なるものを知らない、
といった内容のことを言ったはずだ。
バッハが書いたクラヴィーア曲の殆どには細かいテンポや
デュナーミクやアーティキュレーションの指定がない。
具体的にどのような音楽として曲を響かせるかは
演奏家次第であって、そう、演奏家によっては
全く別の曲ではないかと思えるほどのバリエーションがあるのだ。
実際、僕がバッハに取り憑かれたのも、一番最初に聴いた
『平均律クラヴィーア曲集』のいくつかの演奏に接して
全く驚いてしまったことがきっかけになっている。
殊にグールドが弾くものにはぶっ飛んでしまった。

グールドはバッハ演奏の無限の可能性を知っていて、
僕らは彼が遺したバッハの数々の名曲を楽しむことができるけれど
今僕らが CD で聴く以外のバリエーションもあったに違いない、
そう思わせるものがグールドにはある。
或いは、彼自身、どのように演奏するのが最もよいのか
常に探究を続けていたかもしれない。
そんな探究の成果の一つを僕らは彼の 1955 年と 1981 年の
2回に録音された『ゴルトベルク変奏曲』に垣間聴くのだ。

そんなグールドが、マリさんの演奏を聴いて
ここがいいとかあそこはこうした方がいいとか
批評するはずはそもそもないのだった。
「自分自身を信じなさい――自分もそうしてきたから」
ということなのだろうと想像する。

更にライナーノーツをめくるとトータルの演奏時間が出ている。
53分14秒――グールドの 1955 年録音より 15 分ほど長いけれど
全曲を2回繰り返しているわけでないことはわかる。
さぁ、どんな演奏なのだろう?

録音は 1993 年だからマリさん 28 歳。
グールドが『ゴルトベルク』でデビューしたのが 23 歳。
グールドが初の CBS のレコーディングでこの曲を選んだ時
プロデューサーからは猛反対されたようだ。
バッハ晩年のこの曲をそんなに若いピアニストが弾くのは。。。
ということではないだろうか。
そのグールドに遅れること5年、マリさんだってまだ20代、
やはり同様の反対があったのではないだろうか?
でも、グールドの言葉を受け取ってから 13 年、
きっとこの CD は満を持しての、グールドへの返事ではないか?
そんな風に思えてきてますますワクワク感が高まってくる。
さぁ、どんな演奏なのだろう?

そんな風に妄想しながら家に着くと早速聴く。
! 確かに、磯山さんの言う通り「新鮮で華のある演奏」
もうその言葉に尽きるように思われる。
何と言ってもピアノの響きが美しいのだ。
この音作りには、録音会場となっているリリア音楽ホールの残響が
多分に関係している。
ちょうど、リヒテルの『平均律クラヴィーア曲集』が
クレスハイム宮の残響によって独特な美しさを帯びているように。

最初のアリアのテンポは
グールドの 1995 年版より少し遅いくらいだが、
全体に明るい感じのする演奏。
そして私の注目する 11 小節目冒頭のアルペッジョは
やはりグールド同様上から入っていて素晴らしい。
ピアノのアルペッジョは普通下から上に向かって弾くもので
リヒターも下から上に向かって弾いているが、
グールド 1955 年の録音では上から下に向かって弾いているのだ。
ピアノで弾く時、この効果はとても新鮮な響きで素晴らしい。
マリさんもここでグールドのやり方を踏襲しているわけで、
それがやはり曲に華を添えているように感じられる。

(尚、グールドは 1981 年録音の方では、
 最後のアリア・ダ・カーポのアルペッジョは下から上に
 向かって弾いていて、冒頭の曲と弾き方を変えているのが
 自分には実に興味深い。)

さて、その冒頭のアリアをマリさんは丁寧に
A パートも B パートも2回ずつ、楽譜通りに演奏する。
恰も、これが原曲ですよ、この曲がどう変化していくか
楽しみにしててね、と聴く人にたっぷりと味合わせてくれている
そんな感じのするアリアなのだ。

そして2曲目からは変幻自在である。
全体にはグールドの 1955 年版同様 A パートも B パートも
繰り返しなしの1回ずつでどんどん次の変奏に移っていくのだが、

a) 第3、第4,第6、第24変奏は A, B ともに2回ずつ
b) 第9、第10、第18、第19、第21、第22、
  そして最後の第30変奏は A が2回、B が1回
c) 第16変奏は A が1回、B が2回

となっていて、繰り返す時のパターンとしては
A を2回弾いて B を1回弾く、というものが多い。
これはやはり全体として、A にはテーマの感じがあって
2回演奏することでそのテーマを十分楽しみつつ
B は展開しながら落ち着く感じがあるので、
敢えて繰り返さずに終わるのがよいように僕にも感じられる。
グールドも 1981 年の録音では第3、第4、第6、第9、第10、
第12、第15、第18、第21、第22、第24、第27、第30の
13の変奏でこの方式を取っている。
このグールドの繰り返しと重複があったりなかったりするのは
やはりマリさん独自の解釈に基づくということなのだろう。

その意味では、第16変奏だけが A を1回、B を2回という
反対のパターンになっていることだ。
これはグールドの演奏にもない。
実はこの第16変奏には "Overture", 即ち「序曲」と見出しがあって
フランス風の付点の付いた荘厳な始まり方をするのである。
フランス風の序曲と言えば、お馴染み「G 線上のアリア」を含む
通称『管弦楽組曲』を思い出して頂ければよいけれども、
バッハの序曲は大体荘厳または雄大にゆっくりと始まり、
テーマを演奏したあと、中間部はテンポが速くなって
細かく刻む音符たちがどんどん展開していって
最後にまたテーマに戻ってきて終わる、というのが典型である。
この第16変奏の A パートは正にその荘厳なテーマに当たり、
B パートは展開部に当たるので、この曲に限っては、
A パートを楽譜通りに2回繰り返すのはイマイチである。
僕個人としては、A - B - B - A' のような形で
B を2回演奏したあと A のテーマに戻ってきてほしいところだが、
前回書いたように A の最後は D のキーに転調してしまっているので
『管弦楽組曲』で得られるような満足感をもって終止できない。
G のキーで終わるには A の8小節目冒頭あたりで
和音を叩いて終わらないといけないけれど、
バッハはそのようには書いていない。
A を1回、B を2回というのはマリさんなりの帰結なのだろうと
僕は勝手に想像する。

こうして表題通り様々な変奏が展開されて最後の
アリア・ダ・カーポが来る。
冒頭のアリアで A も B も2回ずつ繰り返したマリさんだが、
この最後のアリアではどちらも繰り返さない。
その代わり、というわけでもないのだろうが、
テンポを極めて遅くとっている。
グールド 1981 年の、もう殆どメロディとして
成り立たなるくらい遅い、あの演奏ほど遅くはないけれど、
1955 年のグールドより、1970 年のリヒターより
ずっとゆっくりとしたテンポで弾かれるのである。
これは、このアリアを慈しみ、別れを惜しんでいるような
そんな情感に溢れたしっとりとした演奏である。
家を出て長い旅をして、再び家に帰ってきてふーっと一息ついて
覚える安堵感、それに似たものを、この演奏を聴き終わった時
僕らは覚え、とても幸せな気持ちになるのである。
そう、そんな幸せな感じに満ちているというのが
この演奏の素晴らしさだと思う。
磯山さんが「きわめて魅力的な、新鮮で華のあるバッハ」と
呼んだのはそういうことなのだろうと納得する。

こうして僕は、セカンドライフで初めてお会いした時から
聴いてみたいと思っていたマリさんのバッハを
聴くことができたわけで、次にはやはり、マリさんと言えば、
幼い頃からスペインにいらした方で、
マドリード音楽院で学ばれた方でもあり、
スペインの作曲家フェデリコ・モンポウの
ピアノ曲全曲録音を世界初で完成された方なので、
そのモンポウを聴いてみたいし、
一連のスペインものを聴いてみたい。
モンポウを聴いてみたいし、一連のスペインものを聴いてみたい。

ところで、スペインと言えば、「変奏曲」という形式は、
実はスペインで発達したものなのである。
スペインでは変奏曲のことを「ディフェレンシアス」と呼んでいて
中でも有名なのは 16 世紀のスペインの作曲家
アントニオ・デ・カベソンが書いた
「『騎士の歌』によるディフェレンシアス」という
5曲から成るオルガン用の変奏曲であろう。
このディフェレンシアスが東に伝わって
「変奏曲」という形式に発展していくのである。
してみれば、マリさんが最初に録音するバッハに
『ゴルトベルク』を選んだのは、単にグールド絡みではなく、
このスペインの伝統を受け継いでいるからかも?
と勝手な妄想を楽しむ僕なのであった。

2026年3月18日水曜日

【レビュー】 熊本マリさんの『ゴルトベルク変奏曲』~その1

少し前、バッハの曲の CD を聴きたくなって
CD ショップを訪れたのだけれど、
お目当ての CD は見つからなくて、「やっぱりないかぁ」と
諦めて帰ろうとしたその時、目に飛び込んで来たタイトル――
『J.S. バッハ:ゴルトベルク変奏曲/熊本マリ』
うぉぉぉ! 熊本マリさんの『ゴルトベルク』ではないか!

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熊本マリさんと出会ったのはリアルではなく、
2022年にセカンドライフ内で行われたイベント
「セカフェス5」の中でのことだった。
マリさんは――以下、マリさんと呼ばせて戴く。
馴れ馴れしいようで失礼な感じもするけれど、
熊本さんと呼ぶのもどうも違和感があって。。。
自分が熊木だからかもしれないが――
勿論生でピアノを弾いてくれたのだけれど、
僕個人としては、マリさんが話してくれた
グレン・グールドとの出会いと、「バッハを弾いてもらえば
その人がどんなピアニストかわかります」と仰っていたのが
とても印象的で、以来、マリさんのバッハを聴いてみたいと
常々思いながら機会を逃してしまっていたのだ。
昨年10月の夜会にお邪魔した時も CD をいろいろ売ってたけれど、
あれこれ迷ううちに結局買いそびれてしまっていた。

それが、バッハの CD を買いに来た自分の目の前に今、
マリさんが弾いた『ゴルトベルク』の CD が置いてあるのだ。
本当は別の CD を買いに来たはずだけど、お目当てのそれはなくて
マリさんの CD があるということは、
今日はこの CD を買うためにここに来たのだ、
これはもう買うしかないではないか、と殆ど衝動買い。
家に帰って早速聴いたらとても素晴らしい演奏で――。

と、ここで詳しい感想を書く前に、
バッハの『ゴルトベルク変奏曲』がどういう曲であるのかを
あまりクラシックを聴かないであろう友人たちのために
できるだけ簡単に書いておこうと思う。
いや、この曲については書きたいことがたくさんあり過ぎて
なかなか本題に入れそうにない気が既にしているのだけれど。。。

『ゴルトベルク変奏曲』というのは、J・S・バッハが
1741年に出版した『クラヴィーア練習曲集第4巻』で、
バッハ自身が付けた曲名は
『2段鍵盤付蔵ヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏』
という長たらしいもので、
これが『ゴルトベルク変奏曲』と通称されるのは、
バッハが音楽の手ほどきをしたという
ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクが、不眠症に悩む
ヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク伯爵が眠れるように
この曲を演奏した、という逸話が伝わっているためだ。

曲の内容としては、冒頭にバッハが 1725年頃、
若き妻アンナ・マグダレーナのために書いた 32 小節の
明るくて愛らしいアリアを元にして、
そこから 30 の変奏が展開され、最後にまた
「アリア・ダ・カーポ」として、最初のアリアが戻って来る、
そんな構成になっている。

30 の変奏はその殆どが冒頭のアリアと同じ 32 小節で
――中にはより短い 16 小節のものもある――、
アリアと変奏曲を合わせた全体の曲数が 32 というのも
何となくバッハらしい数学的・神秘的宇宙観を感じさせる。
そして、これら 32 曲は何れも前半と後半に分かれていて、
つまり、 A - B という形をしていて、
いわゆる「二部形式」というものなのだが、
前半部分の最後の小節、後半部分の先頭と最後に
リピート記号があるので、A - A - B - B という形で
演奏することが期待されているものなのである。

が、ここでこのバッハの二部形式は実にトリッキーである、
ということを少し述べておきたい。
冒頭のアリアの A は――そして後に続く変奏曲の殆どが――
G のキー(ト長調)で始まるのだが、ここがバッハのすごいとこで
A が終わろうとする時、何とドミナント(属調)である
D のキー(ニ長調)に転調しているのだ。
元のキーのトニック(主調)に対してドミナントというのは
一番遠いところで響いている音なので緊張感が高まり、
トニックに戻りたいという気持ちにさせるものである。
実は、音楽のエンディングでジャジャーンと感動的に終わるのは
ドミナントで高められた緊張が、トニックに戻ることによって
とても大きなカタルシスが得られるからなのだ。

だから、本当はドミナントで終わってしまうと
ある種の不安感が残ってしまうのだが、
バッハのすごいところは G で始まった曲が
メロディが展開していくうちにどこかで D に転調していて
A の終わりは G のドミナントである D なのだけれども
D に転調しているので、D はドミナントでなく
トニックになってしまっていて、ある種の終わった感がある。
しかし、僕らの耳には G で始まった記憶があるものだから、
何か、どこか落ち着かない感じが残る。

そこでリピートである。
A の部分の冒頭は G なので、リピートすると
そうそう、この曲は G の曲だったよね、
と実に新鮮な感じの安心感が戻って来る。
しかし、A の部分はまた D に転調して不思議な感じで終わるのだ。
それが B の部分に入ると、あたかも D のキーの曲のふりをして
曲は再開するのだけれども、やはりメロディが展開していくなかで
いつしか G のキーに転調していて、
B の部分の最後はめでたく G のキーに帰って来て
そのエンディングに我々は非常な満足感を覚えるのである。
ところが、である。
ここで B の部分をリピートすると、再び不安な D に戻る。
そしてまたいろいろ展開して最後は G に戻ってまた満足する。

何故今ここで曲の形式とか転調の話をくどくどしているか、
それは、『ゴルトベルク』に収められた 32 曲全てに付いた
このリピート記号をどのように演奏するか、
律儀に全て A - A - B - B と繰り返して演奏するか
それともリピートをすっ飛ばして A - B と演奏するか、
或いは、A または B の部分の何れかだけを繰り返して、
A - A - B 或いは A - B - B のように演奏するかによって
曲全体の印象が全く変わってしまうからなのだ。

僕が『ゴルトベルク』を一番よく聴くのは
1955 年にグレン・グールドがピアノで録れたものと、
1970 年にカール・リヒターがチェンバロで録れたもので、
グールドは全曲1回ずつしか弾かずに約 38 分、
リヒターは最後のアリア・ダ・カーポ以外は全て2回ずつ弾いて
1時間19分となっている。
グールドのは当時「カイザーリンク伯はこの曲で眠ったが
グールドの演奏で我々は目を覚ます」と言われたほど
全体に速い印象を与えるけれども、
繰り返したとするとリヒターの演奏時間とほぼ同じになるわけで、
特段速いというわけではない。
にも拘わらず二人の演奏が与える曲の印象はとても異なっている。
(グールドについて言えば、更に 1981 年に録れたものは
 1955 年に弾いたものとは全く別の曲と言っていい。)

前置きが長くなってしまったけれども、
『ゴルトベルク変奏曲』にはこのような諸々があるわけで、
新しい人の演奏を聴く時は常に、どんなテンポで
どんな風に繰り返して、或いは繰り返さないで
演奏するのだろう? と興味津々なわけである。
そこでマリさんの演奏は――。

長くなり過ぎたので、本題はまたの機会に。。。m(_ _)m

2026年3月17日火曜日

15年~そして未来へ

先日、朝仕事に出かける時に近所の家から若い女性が出て来た。
あれ? と思ったのはあの家にそんな年齢の女性はいないはず、
というか、あの家にいるのは小学生の女の子が2人と
一番下に男の子の3人のガキンチョだ、というのが
僕の認識だったからだ。

やがて、駅に向かって歩きながら気づいた。
そう、あの家族が近所に越して来てから時間が経ったのだ。
そう言えば、越して来た頃は3人自分たちの家の前を通る私道で
いつもわぁわぁ遊ぶ声が聞こえていたのだけれど、
いつの間にかその遊び声も聞かなくなったことに今更気づいた。
みんな大きくなったのだ。
あの若い女性はかつてガキンチョだった一番上の女の子なのでは?
あの家族が近所に越して来たのは一体いつだっただろう?

このことがあったのは3月10日、
ちょうど東日本大震災15周年の前日だった。
もしあの家族が越して来たのがその頃だったとしたら
すっかり「お姉さん」になっていてもおかしくないではないか。
15年ーー。その時生まれた子供たちはもう中学を卒業する年齢だ。
あれから何と言う時間が経ってしまったことだろう。

僕自身はあの自身を当時日本橋にあったオフィスで経験した。
その後テレビで放映される被害状況を見て、
これは下手にボランティアとして現地に入ったところで
却って地元の人の負担、足手まといになると怖れをなし、
その後少し落ち着いてから漸く現地を訪れ
地元の名物などを食べ歩いたり、
その地の素晴らしい自然や風景を写真やビデオに撮っては
ブログや SNS などで発信した。
その程度のことしか自分にはできないと思いながら。。。

あれから15年。
もう二度とあのような悲しい思いをしないために
この国は何をして来ただろう?
そして僕自身は何をして来ただろう?
自分自身を振り返ると、自分のことですら
この15年で何かを成し遂げたということは何もない。
そして、あの子たちがすっかり大きくなったのと同じ時間、
僕に残されている時間も減ったということなのだと思う。
では、その残された時間に何ができるだろう?
何を未来に、次の世代に残していくことができるだろう?

今のところ、相変わらず曲を書いたり本を書いたりと
そんな程度のことしかできないのだけれど、
この国未来がよりよいものとなるために自分に何ができるか、
そんなことを改めて考える16年目の3月11日。

2026年3月8日日曜日

老子の名言

あることが気になって、今『老子』を読み直しています。
これを最初に読んだのはもう○十年も前の学生時代のこと。
当時は「ニューサイエンス」なるものが流行っていて、
科学と東洋思想の親和性、みたい議論がよく聞かれました。
自分もそんな時代の潮流の中で『老子』を手にした、というわけ。

今読んでいるのは勿論当時とは違う理由ですが、
この短く奥の深い文章がどのように読まれているかと思って
Web で検索したところ、「老子の名言」なるサイトが見つかり、
中を覗いてみたところ、次のような「名言」が載っていました。

 優しい言葉をかければ、信頼が生まれる。
 相手の身になって考えれば、結びつきが生まれる。
 相手の身になって与えれば、愛が芽生える。

え? え? 『老子』の中にそんな意味の文章ありましたっけ?
更に見ていくと、次のようなものもありました。

 誰かを深く愛せば、強さが生まれる。
 誰かに深く愛されれば、勇気が生まれる。

う~ん、これも何かヘン。
大体、現代的な意味での「愛」について触れた箇所は
『老子』の中にはないでしょう。
確かに、「愛」という文字が使われている箇所はあるけれど、
それは現代の日本で使われているのは全然違う意味で。。。

これらの文章を「老子の名言」として載せたサイトは
実にたくさん見つかったのですが、そのどれ一つとして
この文章がどこから来たかを書いていないのです。
「名言」は英語では "quotation" と言っていますが、
この語が「引用」と訳されることもあることからわかるように、
名言集ではその名言がどこから来たものか、
引用元を明らかにするのが約束になっています。
その名言を気に入った人が原典に当たれるように、ですね。
しかし、引用元が記載していないということは
これら多数の名言サイトは、どうも他の誰かが
ネットに載せているのをちゃっかりコピーして作られたのかと
疑わざるを得ないのが正直なところです。
気に入った表現があったのなら、
自分でちゃんと調べればよいのに、と思ってしまいます。

まず自分が注目したのが、これらの文章が
詩のように行を分かって書いてあるという点です。
普通、日本で『老子』にある文章を訳す時は
こうした分かち書きにせずにダラダラと散文の形で訳しますね。
最近は「超訳」なるものも出て来ていて、
わかりやすい言葉で書き直した本も何冊か出ているので、
そのいくつかにも目を通しましたが、
その何れにもこれら2つの文章に似た表現すらありませんでした。

となれば、、、
疑わしきは、元ネタは英語の詩だろう、ということで
調べるとすぐに見つかりました。
まず1つ目は、

 Kind words create confidence.
 Kind thoughts create profundity.
 Kind giving creates love.

そして2つ目は、

 Being deeply loved by someone gives you strength,
 loving someone deeply gives you courage.

なるほど、これらを日本語に訳したら
冒頭に挙げたような文章になりますね。

そこで、これらの英文について調べていったところ、
どうも2つ目のものは1970年代にスピリチュアル系のエッセイに
登場した表現らしいのですが、
それがいつの間にかこの文章に続けて "- Laot Tzu" と
恰も『老子』が出典のようにして広まっていったらしいです。
(残念ながら現時点ではまだそのエッセイ集が何か
 突き止められていません。それはまた何れかの機会に。。。)

次に戻って1つ目ですが、これは 1980年代前半に
自己啓発や教育用の名言集に現れたもので、
ポスターやカード教材に多数印刷されて流布したらしいです。
こちらについては、皆さんも簡単に確認できる
Wikiquote というサイトにはっきりと
「誤って老子が出典とされている」と書いてあります。


ところで、何故こんなことになったのでしょう?
恐らくは、英米の人で『老子』に接して感銘を受けた人が、
老子はこんなことを言っている、と、
『老子』の中の特定の文言というわけではなく、
自分が読んだ印象を表現したのではないか、
それが「老子がこう言った」という風に広まったのではないか、
自分はそのように想像しています。

特定の文言、という意味では、1番目のものに最も近いのは、
『老子』第六十七章の次の文章でしょうか。

 我に三宝有り、持して之(これ)を保つ。一に曰(い)わく慈、二に日わく倹(けん)、三に日わく敢(あえ)て天下の先(さき)と為(な)らずと。慈なるが故に能(よ)く勇なり、倹なるが故に能く広し。敢て天下の先と為らず、故に能く器(き)の長(ちょう)を成す。

「自分には宝としているものが3つあって、これをいつも大切にしている。まず第一に慈愛、第二に倹約、第三に天下の人々の先に立たないことだ。慈愛があるからこそ勇気が出て来るし、倹約するからこそ広く施しを行うことができ、先に立たないからこそ、あらゆる官の長となることができるのである。」

大体こんな意味でしょうか。
この3つの中から「慈愛があるから勇気が出る」とう部分だけが
一人歩きしてしまっている感がありますが、
これら3つは何れも為政者として心掛けるべきこと、であって
自己啓発や人生訓として言われたものではないですね。。。

また、「愛」という意味では、次の第四十九章も
これらの英文に関係があるのではないかと考えています。

 善なる者は吾之(われこれ)を善とし、不善なる者も吾亦(また)之を善とす。善を得(う)。信(しん)なる者は吾之を信とし、不信なる者も吾亦之を信とす。信を得。

「善であるものを私はよしとするが、善でないものも私はよしとする。このようにして善を得ることができるのである。信義のあるものを私は信じるが、信義のないものも私は信じる。このようにして信義を得ることができるのである。」

英語の "Being loved..." とは順序が逆ですね。

尚、今回見たたくさんの老子の名言サイトの中に
次のようなものもありました。

 白雁は白くなるために水浴びする必要はない。
 あなたも自分自身でいること以外に何もする必要はない。

これは、『老子』の中に出て来る言葉ではないですが、
『荘子』の外篇「天運篇 第十四」の中に出て来る、
孔子が老子に会った時、老子が孔子に言った言葉の中にあります。

 吾子、亦た風(ふう)に放(よ)りて動き、揔(したが)いて立て。……(中略)……夫れ、鵠(つる)は日ごとに浴せざるも白く、烏は日ごとに黔(くろ)めざるも黒し。

「お前さん自身も、風の吹くままにとらわれなく動き、自然にあるがままに立っていればよい。鶴は毎日水浴びしなくても白いし、烏は毎日墨を塗らなくても黒いのだから。」

それをお前さんは、無理に仁義だ礼だと人に押しつけて、却って天下をややこしいことにしているのではないかね? 
というわけですね。
自分自身がもっと楽に生きればいいのに、と。

『荘子』の中で老子は老聃(ろうたん)という名前で登場します。
が、この天運篇はじめ、どうも『荘子』の老聃は喋り過ぎる。
『老子』の中で、言葉は少ない方がよい、と言っているのと
同じ人物とは思えないですね。w
荘子は、老聃という人物を借りて、自分の思想を語ったのだろうと
自分はそのように想像しています。

長くなりましたが、冒頭に挙げた2つの言葉は
老子自身のものではありませんが、
これを老子が言った、とされるほどに米英では
老子の思想に興味を抱いている人が多いということですね。
実際、ビートルズの "The Inner Light" という曲は
『老子』の第四十七章を殆どそのまま歌詞にしているくらいです。
ならば、より『老子』が身近な我々日本人、
これを機会に改めて『老子』を読んでみるとよいかもです。
今読めば新しい発見があるかもです。